鹿川裕史くんの死

いのちネット


  鹿川裕史くんの死    1985.2.1  

        

     「もう君たちもバカなことをするのはやめてくれ。最後のお願いだ」  

  東京中野区の区立中学二年生、鹿川裕史くん(13歳)は、1985年2月1日、家族と友達に宛てた遺書を残し、父親の実家に近い、岩手県盛岡市内盛岡駅のショッピングセンター地下一階の手洗い所個室内で、首を吊って亡くなりました。
 自殺というより、いじめ「殺された」のでしょう。

 「父雅弘さんの話によると、裕史君は、幼稚園から中学校まで一緒の同級生六人とグループで付き合っていたが、昨年夏ごろから、体力的に劣っていることもあって、いじめられるようになった。とくに10月ごろからは「下級生を殴れ」などと命令され、拒否すると殴られたり、また自宅に押しかけてドアをけとばすいやがらせなどが続いた。このため裕史君は家族に「もうグループを抜けたい」「学校に行きたくない」などと訴え、雅弘さんが友人の親に申し入れたが効果がなかったという。」

                                            
 「中野区教委は2日、西川校長ら学校関係者から事情を聴いたが、●顔にマジックを塗られ、廊下で踊りをやらされた(二学期)●校庭の木に登らされ、歌をうたわされた(三学期)--など複数の友人からいじめを受け、トイレや保健室にこもっていた、などといじめの実態が明らかになった。 


 

裕史くんの遺書

 家の人、そして友達え
 突然姿を消して申し訳ありません。(原因について)くわしいことについては〇〇とか××(原文では実名)とかに聞けばわかると思う。
 俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。
 ただ俺が死んだからって、他のヤツが犠牲になったんじゃ意味ないじゃないか。だからもう君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。

                      昭和六十一年二月一日
                         
                          鹿川裕史  

 

                              資料    1985年2月3日付け毎日新聞

 

           「葬式ごっこ」 

 鹿川くんは、級友たちから色紙に追悼文を寄せ書きした「葬式ごっこ」といういじめを受けていたことが、その後分かりました。この「葬式ごっこ」には、学校の四人の教諭も参加していたことから、大きな波紋をよびました。
  

 

 「東京中野区の中学生自殺事件で明らかになった”葬式ごっこ ”。先生たちがとめようともせず、追悼色紙に署名をしていたことも論外だが、このような”ごっこ ”を平然と行い、「ジョーク」といって笑い飛ばす風潮にはそら恐ろしさを禁じえない。」

            毎日新聞1986年2月11日『記者の目』堀一郎氏  

 

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